「なんにもない」は、本当に何もないのか|社名の由来、空(くう)と、一首の歌
公開日:2026.10.21
- ソライルの視点

記事の監修
IT・WEB集客の専門家
波多野 明仁(Akihito Hatano)
WEB業界歴20年以上。大学生の頃に約50サイトを制作・運営して収益化。ITシステム開発会社でSEを6年間経験したのち独立。東証プライム企業をはじめ、これまでに4,000サイト以上を改善。自社メディアの制作・運営で培ったアクセスアップのノウハウを、クライアント企業のWEB集客に活かしている。1年でアクセス数が715倍になった企業、売上が25倍になった企業など、法人実績多数。
こんにちは。株式会社ソライル代表の波多野です。
今年の夏、一首の短歌を詠みました。
松葉杖 とめて見上げる 夏の空 なにもなき青 満ちてゐるなり
この歌は「令和ことたま短歌大賞」で優秀賞をいただき、9月22日に江戸東京博物館で開催された「令和ことたま歌祭り」で表彰していただきました。
実は、短歌を詠んだのは、これが初めてです。
歌をつくろうと思って出かけたわけではありません。
膝の手術を受けて、まだ松葉杖をついていた頃のことでした。
今回は、この一首が生まれた日のことと、社名ソライルに込めた思いについて書いてみたいと思います。
思うように歩けなかった夏
今年の1月ごろ、左膝を痛めました。
その後もなかなか良くならず、7月8日に前十字靭帯の再建と内側半月板の縫合手術を受けました。
手術後は、膝を装具で固定し、両松葉杖での生活が始まりました。
手術した足に体重をかけることも制限され、それまで当たり前にできていたことが、できなくなりました。
歩くことはもちろん、階段の上り下りや、ちょっとした移動にも時間がかかります。
私はそれまで、毎日のように夜、柔術の道場へ通っていました。
それも、しばらくお休みです。
体を動かせないことに加えて、積み重ねてきたものが止まってしまうような、少し焦る気持ちもありました。
もちろん、リハビリは順調に進んでいました。
それでも、昨日まで普通にできていたことができないというのは、不便なものです。
そんな夏を過ごしていました。
松葉杖を止めて、見上げた空
8月8日。
手術からちょうど1か月がたち、片松葉杖で歩けるようになっていました。
その日は、関わりのある社団法人の周年行事があり、明治神宮へ正式参拝に向かっていました。
よく晴れた、とても暑い日でした。
片松葉杖で歩いていると、やはり疲れます。
少し歩いて、立ち止まりました。
そして、何気なく空を見上げたのです。
雲ひとつない、青い空でした。
広くて、すがすがしくて、きれいな青でした。
ただ、それだけです。
そこには、何か特別なものが見えたわけではありません。
でも、そのとき、ふと思いました。
何もないのではなく、満ちている。
不思議な感覚でした。
目の前には、ただ青い空が広がっているだけです。
一方で、私自身は、少しずつ歩けるようになってきたところでした。
まだできないことはたくさんあります。それでも、昨日よりできることが増えている。
これからまた、少しずつ進んでいける。
そんな時期に見上げた空でした。
そこから生まれたのが、冒頭の一首です。
松葉杖 とめて見上げる 夏の空 なにもなき青 満ちてゐるなり
最後の「満ちてゐるなり」は、目に見えたものではなく、あの瞬間に私が感じたことです。
短歌には、どこか難しいものという印象を持っていました。
でも、気軽に詠んでよいものだと知り、それなら自分も、と初めてつくってみました。
その一首を評価していただけたことは、素直にうれしい出来事でした。
振り返ってみると、この歌も、私が創業以来大切にしてきた考えとつながっています。
社名ソライルの由来。「空(そら)」と「空(くう)」
ソライルという社名には、「空(そら)」と、仏教でいう「空(くう)」の両方の意味を込めています。
空(そら)は、誰もが知っている身近な存在です。
見上げれば、いつもそこにある。
でも、その空は、どこまで続いているのでしょうか。
どこまでも、果てしなく広がっているのではないでしょうか。
空(そら)には、限りない広がりがあります。
一方、仏教における「空(くう)」は、単純に何もないという意味ではありません。
私たちは、物事を「ある」「ない」「できる」「できない」と捉えがちです。
けれど、物事には、初めから決められた、変わることのない姿があるわけではありません。
さまざまな条件によって成り立ち、変化していくものです。
決まった形がないからこそ、変わっていける。
私は、この考えに大きな可能性を見いだしています。
また、サンスクリット語の「śūnya(シューニャ)」には、「空」や「ゼロ」に通じる意味があります。
私は、武術や瞑想など、さまざまな経験を重ねる中で、こうした考えにたどり着きました。
ゼロという数字は、何もないことを表しているように見えます。
けれど、ゼロがあるからこそ、私たちは大きな数を表すことができます。
また、ゼロは何かが終わった場所であると同時に、何かが始まる場所のようにも思えます。
私にとってのゼロは、単なる「無」ではありません。
まだ形になっていない、無限大の可能性を秘めたものです。
空(そら)も、空(くう)も、ゼロも。
私の中では、無限大の可能性という考えにつながっています。
株式会社ソライルの理念に掲げている、
「ITの力で無限大の可能性を引き出し、志のバトンを繋いでいく」
という言葉も、ここから生まれました。
会社を設立してから10年以上、この考えを大切にしてきました。
絵本『ゼロくん』も、同じところから生まれました
実は、短歌を詠んだ8月8日は、私にとってもう一つの記念日でした。
初めての絵本『ゼロくん なんにもないって ほんとう?』を、Kindleで発売した日でもあったのです。
この絵本は、「ゼロなんて、なんにもないじゃん!」と笑われたゼロくんが主人公の物語です。
何もないと思われていたゼロくん。
でも、本当に何もないのでしょうか。
子どもたちには物語として楽しんでもらい、大人の方には、ゼロという数を通じて、普段とは少し違うものの見方に触れてもらえたらと思っています。
巻末には、大人の方に向けたあとがきも収録しました。
絵本と短歌。
表現の形は違いますが、どちらも、私が大切にしてきた考えから生まれたものです。
止まったことで、見えたもの
手術を受けたのが7月8日。絵本を発売したのが8月8日。
ちょうど1か月でした。
思うように歩けず、外出する機会が減った分、パソコンの前で過ごす時間が増えました。
AIの活用によって仕事の進め方も変わり、絵本の制作を進めることができました。
以前と同じように動き回っていたら、8月の出版には間に合わなかったかもしれません。
もちろん、失ったものもあります。
それまで続けていた柔術の練習には行けず、リハビリにも時間がかかります。
積み重ねてきたものが止まってしまうような焦りもありました。
だから、止まってよかったという単純な話ではありません。
ただ、これまでとは違う時間の使い方ができたことも事実です。
そして、あの日の空も、疲れて立ち止まったからこそ見上げたものでした。
もし、いつものように歩けていたら、そのまま明治神宮へ向かっていたと思います。
いつもそこにあるのに、普段はあまり見上げることのない空。
立ち止まったことで、目に入ってきた景色でした。
「なんにもない」は、本当に何もないのか
私たちは、ときどき「自分には何もない」と感じることがあります。
まだ何もできていない。特別なものがない。これからどうなるのかわからない。
でも、今は見えていないだけで、まだ気づいていない可能性があるかもしれません。
これは、会社の仕事にも通じる考えです。
私たちは、Webサイトの制作や改善、保守などを通じて、お客様の事業を支えています。
新しいものを付け加えるだけでなく、すでにあるものの中から、まだ十分に活かされていない価値を見つけることも、大切な仕事だと考えています。
あの日、松葉杖を止めて見上げた空には、雲ひとつありませんでした。
ただ、青いだけの空。
それでも、私には満ちているように感じられました。
「なんにもない」は、本当に何もないのでしょうか。
よくある質問
Q. 社名「ソライル」の由来は何ですか?
A. ソライルという社名には、「空(そら)」と、仏教でいう「空(くう)」の両方の意味を込めています。
空(そら)には、限りない広がりがあります。
一方、仏教における「空(くう)」は、単純に何もないという意味ではありません。
物事には、初めから決められた、変わることのない姿があるわけではなく、さまざまな条件によって成り立ち、変化していくものです。
決まった形がないからこそ、変わっていける。私は、この考えに大きな可能性を見いだしています。
Q. ソライルの理念にある「無限大の可能性」とは、どういう意味ですか?
A. サンスクリット語の「śūnya(シューニャ)」には、「空」や「ゼロ」に通じる意味があります。
ゼロという数字は、何もないことを表しているように見えます。けれど、ゼロがあるからこそ、私たちは大きな数を表すことができます。
私にとってのゼロは、単なる「無」ではなく、まだ形になっていない、無限大の可能性を秘めたものです。
空(そら)も、空(くう)も、ゼロも、私の中では無限大の可能性という考えにつながっています。
理念に掲げている「ITの力で無限大の可能性を引き出し、志のバトンを繋いでいく」という言葉も、ここから生まれました。
Q. 短歌「松葉杖 とめて見上げる 夏の空」は、どんなときに詠んだのですか?
A. 膝の手術からちょうど1か月がたった8月8日です。
片松葉杖で明治神宮へ正式参拝に向かう途中、少し歩いて立ち止まり、何気なく空を見上げました。雲ひとつない、青い空でした。
そのとき、何もないのではなく、満ちている、とふと思いました。
最後の「満ちてゐるなり」は、目に見えたものではなく、あの瞬間に私が感じたことです。
短歌を詠んだのは、これが初めてです。この一首は「令和ことたま短歌大賞」で優秀賞をいただきました。
Q. 絵本『ゼロくん なんにもないって ほんとう?』は、どんなお話ですか?
A. 「ゼロなんて、なんにもないじゃん!」と笑われたゼロくんが主人公の物語です。8月8日にKindleで発売した、私の初めての絵本です。
子どもたちには物語として楽しんでもらい、大人の方には、ゼロという数を通じて、普段とは少し違うものの見方に触れてもらえたらと思っています。
巻末には、大人の方に向けたあとがきも収録しました。
絵本と短歌。表現の形は違いますが、どちらも、私が大切にしてきた考えから生まれたものです。
Q. 「自分には何もない」と感じるときは、どう考えればよいですか?
A. 私たちは、ときどき「自分には何もない」と感じることがあります。まだ何もできていない。特別なものがない。これからどうなるのかわからない。
でも、今は見えていないだけで、まだ気づいていない可能性があるかもしれません。
あの日、松葉杖を止めて見上げた空には、雲ひとつありませんでした。ただ、青いだけの空。それでも、私には満ちているように感じられました。
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