心の傷と向き合うとは、何をすることなのか

公開日:2026.09.30 更新日:2026.10.05

  • ソライルの視点

記事の監修

IT・WEB集客の専門家

波多野 明仁(Akihito Hatano)

WEB業界歴20年以上。大学生の頃に約50サイトを制作・運営して収益化。ITシステム開発会社でSEを6年間経験したのち独立。東証プライム企業をはじめ、これまでに4,000サイト以上を改善。自社メディアの制作・運営で培ったアクセスアップのノウハウを、クライアント企業のWEB集客に活かしている。1年でアクセス数が715倍になった企業、売上が25倍になった企業など、法人実績多数。

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こんにちは、株式会社ソライル代表の波多野です。

私は仕事柄、これまで多くの経営者や、事業をされている方と関わってきました。

同じように改善案をお伝えしても、すぐに動き、結果につなげていく方がいます。

一方で、内容には納得している。やった方がいいことも分かっている。それでも、なぜか動けない方もいます。

長く仕事をしていると、この違いは知識や能力だけでは説明できない、と感じるようになりました。

本人にもはっきり見えていない怖さや思い込みが、判断や行動に影響していることがあります。

そしてこれは、他人を見て気づいたことだけではありません。

私自身が、長い間そうでした。

人の目が怖い。否定されることが怖い。頭では大丈夫だと分かっていても、体や感情の方が先に身構えてしまう。

では、そうした反応は、どうすれば変わっていくのでしょうか。

「過去と向き合う」
「トラウマを癒やす」

よく聞く言葉ですが、実際には何をするのでしょうか。

今回は、私が大学生の頃から、自分の心の傷とどう向き合ってきたのかを書いてみます。

世界が安心できる場所ではなかった頃

私は子どもの頃、学校ではいじめられて育ちました。

家でも、しつけがとても厳しく、いつも恐怖を感じていました。

学校でも家でも気を張っていて、子どもの私にとって、世界は安心できる場所ではありませんでした。

家から離れた大学に進み、一人暮らしを始めると、少し呼吸が楽になりました。

ただ、離れても残ったものがありました。

人が怖い。
人前に出ると身構える。
どう思われているかが気になる。
否定されることを必要以上に怖がる。

最初の頃は、なぜ自分がここまで人を怖がるのか、うまく説明できませんでした。

ただ、過去の経験が関係していることは、直感的に分かっていました。

では、どうすればその影響を小さくできるのだろう。

どうすれば、この苦しさを軽くできるのだろう。

そう考え、自分なりに試し始めました。

画面を、豆粒まで小さくする

私がやったのは、頭の中に映画館を思い浮かべることでした。

怖かった場面を、映画館のスクリーンに映します。

やってみると、とても見ていられませんでした。

巨大なスクリーンいっぱいに、怖かった場面が映る。

見ようとしただけで、体がすくみます。

そこで、ふと思いました。

見られないのは、画面が大きすぎるからではないか。

だったら、小さくしてしまえばいい。

頭の中でスクリーンを少しずつ小さくし、最後は豆粒ほどにしました。

そこまで小さくすると、ようやく見ることができました。

一度で終わりにはしませんでした。

日を置いて、また見る。

慣れてきたら、少し大きくする。

また別の日に、もう少し大きくする。

そうやって繰り返しているうちに、同じ場面なのに、感じ方が変わっていきました。

あれほど見たくなかった記憶が、少しずつ「過去に起きた出来事」になっていったのです。

画面の中の自分を見る

スクリーンに映すと、出来事を少しだけ自分の外側に置くことができます。

最初に豆粒まで小さくして見たのは、母に叩かれている場面でした。

小さな画面の中に、子どもの私がいます。

怖い。

痛い。

嫌だ。

そして、その奥にあったものに気づきました。

「愛してほしい」

でした。

何かを達成したからでもない。

期待に応えたからでもない。

良い子だったからでもない。

ただ、そのままの自分を愛してほしかった。

そこに気づいてから、人を怖がることや、人から認めてもらいたくなることの見え方が変わりました。

「なぜ自分はこんなに人の目を気にするんだろう」

ではなく、

「子どもの頃に受け取りたかったものを、別の場所で手に入れようとしていたのかもしれない」

と考えられるようになったのです。

これは、あくまで私自身を振り返って見えてきたことです。

ただ、自分でも気づいていなかった過去の感情が、今の反応に影響していることはあるのだと思います。

出てきた感情を、押し戻さない

画面を見ると、感情が動きます。

怖さ、悲しさ、怒り。

私が大切にしていたのは、出てきた感情を、

「こんなことを感じてはいけない」

と、もう一度押し込めないことでした。

私はそれまで、感情を抑えることに慣れていました。

だから、感情が動いても大丈夫な環境を作りました。

誰にも聞かれない場所で、布団にくるまって泣いたこともあります。

今振り返ると、泣いたことそのものより、

「自分はいま悲しいんだ」

「自分はいま怒っているんだ」

と、自分の感情を否定しなかったことが大きかったのだと思います。

落ち着いてから、解釈が変わる

感情を押し戻さずにいるうちに、同じ場面を見ても、以前ほど揺さぶられなくなっていきました。

怖さが少し薄くなり、距離を取って眺められるようになる。

そうなって初めて、

「あれは何だったのだろう」

と考え直せるようになりました。

怖さでいっぱいのときに、考え方だけを変えようとしても、なかなか変わりません。

まず、少し落ち着いて見られるようになる。

そのあとで、出来事に与えていた意味を見直すことができる。

もちろん、嫌だった出来事を正当化する必要はありません。

相手を無理に許すためでもありません。

嫌だったことを、「本当は良い経験だった」と思い込む必要もありません。

出来事は変わらない。

ただ、自分がそこに与えていた意味は変えることができます。

気づいたら、反応が変わっていた

こうしたことを続けていると、同じ出来事が起きても、以前とは反応が違うことに気づくようになりました。

以前なら強く怖がっていたことが、それほど怖くない。

以前なら立ち止まっていたところで、そのまま動ける。

以前なら人の目や評価が気になって仕方がなかった場面でも、必要以上に引っかからない。

外から見れば、急に別人になったわけではありません。

でも、内側の反応が変わることで、選ぶ行動は大きく変わりました。

昔の私は、何かをしようとすると、懸念が先に浮かびました。

失敗したらどうしよう。

嫌われたらどうしよう。

まだ起きてもいない未来に、怖い場面をいくつも映していたのです。

過去の怖い映画だけでなく、未来にも怖い映画を勝手に上映していたのだと思います。

その怖い場面が減ってくると、選べる行動も増えていきました。

人前で話すことも増えました。

仕事でも、以前なら避けていたことに挑戦するようになりました。

そして、仕事をしていても、似たことを感じることがあります。

売上を上げたい。

事業をもっと良くしたい。

新しいことを始めたい。

やるべきことも、方法も分かっている。

それでも、なぜか動けない。

そんなとき、足りないのは新しい知識だけではないことがあります。

怖さや思い込みが軽くなることで、判断や行動が自然に変わることもあります。

だから私は、「何をやるか」だけではなく、「なぜそこで止まっているのか」を見ることも大切だと思っています。

一度で終わるものではなかった

一回やれば終わり、というものではありませんでした。

始めたのは大学生の頃です。

それから長い時間をかけて、何度も同じようなことを繰り返してきました。

なぜか前に進めないとき。

妙に怖さが出てきたとき。

「なぜ、自分はここで止まるんだろう」

と、自分の中を見てみる。

すると、奥に過去の記憶や感情が見つかることがあります。

見つかった記憶を、また見られる大きさにして見ていく。

今でも、人が怖いという感覚が、すっかりなくなったわけではありません。

ただ、以前と比べれば、ずいぶん小さくなりました。

完全になくすことだけが、変化ではないのだと思います。

100あったものが50になる。

50が30になる。

それだけでも、選べる行動は増えていきます。

見られる大きさにしてから、見る

振り返ると、私がこの経験から学んだことは二つあります。

ひとつは、心の傷と向き合うことは、真正面から無理に立ち向かうことではない、ということです。

私の場合は、怖くて見られない記憶を、頭の中で豆粒ほど小さくしました。

もうひとつは、怖さの奥に、自分でも気づいていなかった気持ちが隠れていることがある、ということです。

私の場合、その奥にあったのは、

「何かができたからではなく、そのままの自分を愛してほしい」

という願いでした。

私は、自分の中にある怖さや思い込みと向き合うことには、人生を大きく変える力があると思っています。

仕事だけの話ではありません。

物事の受け取り方が変わる。
人との関わり方が変わる。
必要以上に怖がらなくなる。
これまで止まっていたところで、自然に動けるようになる。

自分の反応が変われば、その先の行動も、人間関係も、人生の選択も変わっていきます。

私自身、長い時間をかけて、それを実感してきました。

ここに書いた「豆粒まで小さくする」という方法だけが答えではありません。

私自身、その後も、自分の中の何が引っかかっているのかを見つけ、感情を整理し、物事の受け取り方を変えていくために、さまざまな方法を試してきました。

このテーマは、一つの記事だけでは伝えきれません。

これからブログやメルマガ、動画などを通して、もう少し体系立ててお伝えしていきたいと思っています。

大事なのは、無理に正面突破することではないのだと思います。

見られないなら、見られる大きさまで小さくする。

私の場合は、豆粒まで小さくしました。

心の傷と向き合うとは、自分が見られる大きさにしてから、見ることなのかもしれません。

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