意識レベルが上がると、仕事は一度止まる|志を持った年に、何が起きたか
- ソライルの視点

記事の監修
IT・WEB集客の専門家
波多野 明仁(Akihito Hatano)
WEB業界歴20年以上。大学生の頃に約50サイトを制作・運営して収益化。ITシステム開発会社でSEを6年間経験したのち独立。東証プライム企業をはじめ、これまでに4,000サイト以上を改善。自社メディアの制作・運営で培ったアクセスアップのノウハウを、クライアント企業のWEB集客に活かしている。1年でアクセス数が715倍になった企業、売上が25倍になった企業など、法人実績多数。
こんにちは、株式会社ソライル 代表の波多野です。
世界平和をやりたい。そう思うようになった頃から、数字が動かなくなりました。
なぜ止まったのか。そして、どうやってまた動き出したのか。今日は、その話を書きます。
私がビジネスを始めたのは、大学生の頃です。頭と手を動かせば動かすほど、数字はどんどん伸びていきました。ギターとバイクが欲しくて、ひたすらサイトを作っていました。アクセスが増えるのが楽しくて、収入が増えるのが素直に嬉しかった。
志を持つと、人生はイージーモードではなくなります。前に、そう書いたことがあります。この記事は、その続きです。
意識レベルを上げれば成功する、という話をよく聞きます。私の実感は、少し違います。どのレベルからどのレベルへ上がるかで、起きることが変わるのです。上げるほどうまくいく、とは限りません。逆に、一度うまくいかなくなることがあります。
意識レベルという考え方は、『パワーか、フォースか』という本がわかりやすいです。意識の高さを数値の段階で示した表があり、恐怖や怒りが下の段に、勇気が分かれ目にあります。そこから下を力ずくの力(フォース)、上を内から湧く力(パワー)と呼びます。
学術的な定説というわけではありませんが、高さのイメージをつかむには便利なので、表を載せておきます。
意識レベルの表
パワー 内から湧く力
- 700〜1000悟り
- 600平和
- 540喜び
- 500愛
- 400理性
- 350受容
- 310意欲
- 250中立
200
勇気ここが分かれ目
- 175プライド
- 150怒り
- 125欲望
- 100恐怖
- 75悲しみ
- 50無関心
- 30罪悪感
- 20恥
フォース 力ずくの力
これから書くのは、自分に起きたことと、仕事の現場で見てきたことです。何かの参考になればうれしいです。
「みんないなくなればいい」と思っていた頃
私は子どもの頃、学校ではいじめられて育ちました。家庭でも、しつけがとても厳しく、恐怖を感じながらビクビクしていました。子どもの頃の私にとって、世界は安心できる場所ではありませんでした。意識レベルでいうと、恐怖です。
そのとき考えていたのは、ここから逃げたい、ということでした。ひどいときには、みんないなくなればいい、とまで思っていました。世界平和、みんなが幸せに、とは真逆です。
いまはそう思っていません。
では、どうやって、そこから出たのか。
家にいるあいだは、どうにもなりませんでした。逃げ場がないからです。
変わったのは、親元を離れてからです。恐怖の元から距離ができると、それだけで呼吸が変わりました。環境を変えるのは、逃げることとは違います。あそこで、最初の段を上がったのだと思います。
ただ、離れても消えなかったものがあります。認められたい、という気持ちの強さです。出どころは、あの家にありました。誰かに認めてもらわないと、自分の値打ちが決まらない。そういう思い込みのまま、しばらく生きていました。
それがゆるんだのは、ずっとあとになって、過去の傷と向き合ったときです。そこでもう一段、変わりました。この話は、回を改めて書きます。
そのあいだ、私を動かしていたのは欲でした。冒頭に書いた、ギターとバイクです。欲しいものがあると、下ばかり見ていられません。恐怖から抜け出す動力は、志ではなく、欲でした。
(あとから意識レベルの表を見返して、気づいたことがあります。恐怖のひとつ上の段は、欲望です。意識していたわけではありませんが、ひとつ上の段をつかんで、そこから上がっていたことになります。)
陰に落ちたからこそ、陽へ転じることができた。いまは、そう思っています。
人の意識レベルは一生でほとんど変わらない、という話を聞くことがあります。ただ、少なくとも私自身の経験では、そうは感じません。意識のあり方は変わります。
ただし、毎日じわじわと変わるというより、何かを乗り越えたときに、段が変わる。私には、そんな感覚があります。
上がったら、仕事が止まりました
ここまでは、上がってきてよかった、という話です。恐怖の側にいた私が、そこから動いてこられた、というところまで。
ここからが、その逆です。
私の場合、志を持ったことで、結果的に意識レベルを高く保ちやすくなりました。それなのに、数字は伸びないままだったのです。
当時、同じような話をする人たちの集まりにも顔を出していました。志の高い、いい方ばかりです。そして私も含めて、商売のほうがうまく回っている人は、あまりいませんでした。
理由は、いまなら分かります。欲しくなくなったのです。
ある程度、満たされてしまったのだと思います。だから、外から取ってこようという気が起きなくなりました。
学生の頃は、足りていませんでした。ギターがない。バイクがない。彼女もいない。だから稼ぐ理由がはっきりしていた。数字が増えるたびに、足りないところが埋まっていく感じがありました。
以前、儲かるようになって、つまらなくなった、という話を書きました。あれと、同じことだったのだと思います。あのときは面白さが消えた話として書きましたが、消えていたのは、埋めるものだったのでしょう。
会社をつくった頃には、そこがある程度埋まっていました。売上が増えても、以前ほど嬉しくない。埋めるものが、ほとんどなかったからです。
人の欲求には段階がある、という有名な説があります。それで言えば、足りないものを埋める欲求から、その先へ移ったのだと思います。
学生の頃は、目的がシンプルでした。ギターが欲しい。だから稼ぐ。目的と手段が、一直線につながっていました。世界平和は、そうはいきません。目的が大きすぎて、今日の仕事とつながらない。目的と手段が、離れてしまったのです。
気づけば、無償でやってあげたくなってもいました。役に立つなら、お金はいただかなくてもいい、と。
人としては、悪い変化ではありません。ただ、商売のほうから見ると、これは困った事態です。会社を続けていくには、利益も必要です。動かすには、前へ進める力が要ります。その力の出どころが、なくなっていました。
意識レベルが上がると、一度うまくいかなくなることがあります。冒頭に書いたのは、このことでした。
ただ、いま振り返ると、高くなったこと自体が問題だったのではありません。それまで私を動かしていた、足りないから欲しい、という力が使えなくなったのに、代わりになる力を、まだ見つけていなかった。高いところへ行ったなら、そこからもう一度、具体へ降りる必要があったのです。
抽象度を下げて、橋を架ける

では、どうしたか。
世界平和という言葉は、そのままでは行動につながりません。抽象度が高すぎるのです。「世界平和のために、今日は何をしますか」と聞かれても、難しい。
そこで、抽象度を下げました。何を通して、世界平和に近づくのか。手段を考えたのです。
志とは、世の中を良くしようとする想いだと、私は考えています。突き詰めれば、その先は世界平和につながっている。その志を持つ人を、増やしたい。応援したい。そう思いました。
では、自分に何ができるのか。得意なことは、Webでした。学生の頃から、10年以上続けていました。志のある社長が、いい商品やサービスを持っているのに、ITや伝える技術だけが足りない。そもそもITが苦手だ、という方も本当に多いのです。そこを引き受ければ、その会社の志が前に進みます。
そうして出てきたのが、いまの理念です。
ITの力で無限大の可能性を引き出し、志のバトンを繋いでいく。
これは志そのものではありません。志を果たすための、手段のひとつです。
志は、掲げるだけでは動きません。掲げたところと、目の前の仕事とのあいだには、たいてい距離があります。その距離に橋を架けないと、志は宙に浮いたままになります。理念は、その橋です。
橋が架かってから、仕事は動き出しました。クライアントの売上を増やすために提案するのではなく、その会社の志が前に進むように提案する。やっていることは同じようでも、力の入る場所が変わりました。
その頃まで、自分の会社のホームページすらありませんでした。Webの会社なのに、です。想いは高いところにあるのに、足元の具体が抜けていました。まず自社のホームページをちゃんとつくる。そうやって想いを一つずつ形に落としていくのと並んで、売上も上がっていきました。
なくなったはずの力が、別のところから出てきた、という感覚です。自分に足りないものを埋めるための力ではなく、目の前の会社を前に進めるための力です。前者は満たされたら消えますが、後者は消えません。志を前に進めたい会社は、いくらでもあるからです。
具体へ降りてからは、会社の売上は毎年のように倍になっていき、創業した頃の六倍以上になりました。
意識を上げるだけでは、進みません。上げたあとに、具体へ降ろす。言葉にして、理念にして、目の前の仕事につなぐ。その両方があって、志は動き出します。
上げることと、降ろすこと

私は、意識レベルそのものは、上げていったほうがいいと思っています。ただ、意識が高くなり、見ているものの抽象度が上がるほど、それを具体へ降ろさなければ、現実との距離が広がってしまいます。だから、上げた意識をもう一度、目の前の仕事や行動へ降ろすことが大切なのです。
意識を上げたほうがいいと思う理由のひとつは、執着が少なくなることです。以前、ある整体師の方から、苦しみは、痛み × 執着だと聞いたことがあります。
売上はこうでなければならない。人からこう見られなければならない。そうした「ねばならない」が外れるほど、同じ出来事に、必要以上に苦しまなくなります。
ソライルという社名は、空(くう)から来ています。色即是空の、空です。空はゼロであり、ゼロは無限大に通じる。なにもないように見えるものが、実は満ちている。理念の「無限大」は、ここから来ています。
(余談ですが、この「ゼロは無限大」という考え方は、一冊の絵本になりました。『ゼロくん なんにもないって ほんとう?』です。)
足りないものを数え続けているうちは、いくつ手に入れても足りません。もともと満ちているのだと思えたとき、はじめて「ねばならない」が外れます。
満たされるには、二種類あるのだと思います。欲しかったものが手に入って、欠けが埋まること。そして、そもそも欠けていなかった、と気づくことです。先に、満たされてしまったから、前へ進める力が消えた、と書きました。あれは前者です。足りないから動く力は、満たされれば止まります。満ちているところから、人の志のために動く力は、止まりません。いまの私を動かしているのは、その力です。
この記事で書いてきたのは、段が変わる話でした。親元を離れたとき。志を持ったとき。橋を架けて、動き出したとき。変わるたびに、出てきたものがあります。恐怖です。新しい挑戦は、いまいる場所から、出ることだからです。
一歩を踏み出せるかどうか。人の意見を受け止められるかどうか。書いたものを世に出せるかどうか。どれも、恐怖との付き合い方で決まっていました。そしてこれは、私だけの話ではありません。仕事の現場で、成果が出る人と出ない人を分けているのも、ここでした。次回は、その話を書きます。
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