利他は、他人のためじゃない|「相手も含めて自分」という考え方

  • ソライルの視点

記事の監修

IT・WEB集客の専門家

波多野 明仁(Akihito Hatano)

WEB業界歴20年以上。大学生の頃に約50サイトを制作・運営して収益化。ITシステム開発会社でSEを6年間経験したのち独立。東証プライム企業をはじめ、これまでに4,000サイト以上を改善。自社メディアの制作・運営で培ったアクセスアップのノウハウを、クライアント企業のWEB集客に活かしている。1年でアクセス数が715倍になった企業、売上が25倍になった企業など、法人実績多数。

▶ 詳しいプロフィール

▶ 代表の想い「Web屋が世界平和を語る理由」

こんにちは、株式会社ソライル Web集客コンサルタントの波多野です。

世界平和」「」と書いてきたこのシリーズで、今回は「利他」について書きます。ただし、先にお断りしておくと、これは「人のために生きましょう」という話ではありません。むしろ逆です。

結論から言います。利他は、自分のためである——私はそう考えています。

「利他」という言葉への、違和感

「利他(りた)」とは、他を利する、と書きます。良い言葉です。でも私はこの言葉に、昔から少し違和感があります。

ひとつは、どこか偽善的に感じてしまうことです。利他そのものではなく、言葉の話です。言葉が美しいぶん、「どうせ見返り目当てだろう」という目で見られやすい。私自身、「私は利他的です」と自分から言うのは、かなり気が引けます。というより、絶対に言いません。

もうひとつは、そもそも当たり前の話だということです。家族のためにご飯を作る。同僚の仕事を手伝う。道を聞かれて教える。実は、みんなすでに利他をしています。特別な美徳というより、日常に溶けているもの。それなのに、どこか遠い言葉のように扱われている。そんな違和感です。

会ったこともない人を、応援する

ひとつ、自分の話をします。私は寄付をよくします。カフェやコンビニのレジに寄付ボックスがあれば小銭を入れますし、戦争や災害があればクラウドファンディングで支援することもあります。会ったこともない、関わったこともない人やプロジェクトでも、応援したいと思ったら応援する。会社としても売上の一部を寄付し、ラオスやタイ、ベトナムの学校建設、カンボジアの大学講堂、スリランカの小学校など、海外の教育支援に携わってきました(「ソライルについて」のページにも記載しています)。

立派なことをしている意識は、ありません。当たり前のことだと思ってやっています。ただ、正直に言うと、回り回って、自分に返ってくるという感覚もあるのです。メリットがあるとは本当は言いたくありませんが、そういう側面は確かにあります。

すると、こう思われるかもしれません。「見返りを感じているなら、それは結局、利己では?」はい。実は、そこが今日の本題です。

相手も含めて、自分

水面に広がって重なり合う2つの波紋

私は「利他」の代わりに、「大我(たいが)」という言葉で考えています。大きな我、と書きます。相手も含めて自分、という捉え方のことです。

「我(自分)」には、2つのスケールがあると思うのです。ひとつは、この肉体ひとつぶんの我。もうひとつは、肉体を超えて、どこまでを「自分」と捉えるかという我です。

ピンとこない方は、社長を思い浮かべてください。経営者は、会社全体を「自分」として捉えていることが多いものです。社員が成果を出すと、自分のことのように嬉しい。会社が傷つけば、自分が傷ついたように痛い。あれは、「我」が会社のサイズまで広がっている状態です。家族を持つ人が、子どもの幸せを自分の幸せとして感じるのも同じです。

その「我」の範囲が、会社や家族を超えて、会ったこともない誰かにまで広がったとき、他人に良くすることは、そのまま自分に良くすることになります。私が会ったこともない人を応援して、なぜか自分が嬉しいのは、このためだと思っています。

ちなみに、これは頭の中だけの話ではありません。私は武術をやっているのですが、稽古で相手と触れていると、自分と相手が一体になる感覚を、かなりリアルに感じることがあります。相手を投げるのではなく、相手と一体になって支えている感覚。こちらが支えているから、相手は安心して転ぶことができる。力任せに倒すのとは別物で、投げるというより「浮く」に近い。脳は2つなのに、相手の神経や筋肉の動きが分かる。合気道の「合気」という言葉も、相手の気と合わせて一つになる、という意味なのではないかと私は思っています。相手を倒そうという発想の、真逆です。大我は、体でも体験できるのです。

こう考えると、「利他」という言葉のおかしさの正体も見えてきます。「他を利する」という字は、自分と他人が別々であることが前提です。でも大我にとって、そもそも「他」はいない。だから利他は、美徳でも自己犠牲でもなく、大きな自分にとっての、ただの自然な利己なのです。

損得度外視は、損ではない

この考え方は、商売にもそのまま繋がります。

大我で仕事をすると、「楽に儲けるか」ではなく「より良いか」が基準になります。目の前のお客様にとって良いだけでなく、お客様のその先のお客様にとって、そして社会にとって、より良いか。「我」が広がっているのだから、基準もそこまで広がるのです。目の前の損得を度外視して、本当に良いものを作る。一見、損な生き方に見えるかもしれません。でも、以前の記事で書いたとおり、小手先は必ず対策され、本質は対策のしようがありません。損得度外視で作った「良いもの」は、信頼として、紹介として、回り回って返ってきます。私が寄付で感じている「巡り」と、まったく同じ構造です。

小さな仕事が、10年のお付き合いになった

実体験を書きます。独立した当初、私は損得勘定を抜きにして、目の前の仕事をどんどんやりました。すると、お客様にとても喜んでいただけて、そこから仕事が広がっていったのです。最初は小さな仕事が、次第に大きな仕事になり、定期的なご契約になりました。10年以上お付き合いの続いているお客様が、今もいらっしゃいます

お客様の声が集まり、お客様がお客様を呼び、ご紹介が生まれる。先のことを計算していたわけではありません。ただ、勘定抜きでやっていると、「得だと思ってやること」以上の成果が、なぜか出るのです。

自分のホームページを持っていないWebコンサルタント

独立した頃の私は、自分のホームページを持っていませんでした。Web集客を仕事にしているのに、です。それでも仕事が成り立っていたのは、目の前のお客様への仕事の積み重ねと、そこから生まれる応援や紹介で、ご縁が繋がっていったからです。勘定を先に立てていたら、こうはならなかったと思います。

最初の収入は、月50円でした

思えば、学生時代のアフィリエイトもそうでした。私は大学生の頃、エレキギターが大好きで、学校を辞めてプロのギタリストになろうと本気で考えていたほどです。将来やりたいことが、ギターしかなかった(今思えば、あれは志ではなく、ただの「好き」でしたが)。

その私が最初に作ったアフィリエイトサイトは、ギターの情報サイトでした。市販の本には書いていない、プロから直接聞いた「これはみんな知らないだろうな」という情報を伝えたり、掲示板で中高生や初心者の方のギターの悩みや疑問に、1つ1つ無料で答えたり。採算度外視でしたが、自分の持っている情報で誰かの役に立つこと自体が、とても嬉しかったのです。

そのサイトの最初の収入は、月50円でした。それでも、飛び上がるほど嬉しかった。当時のアルバイトは時給800円ほどで、そちらのほうがずっと稼げるのに、嬉しくはなかった。自分でゼロから生み出した50円のほうが、何十倍も嬉しかったのです。

儲かるようになって、つまらなくなった

この話には、続きがあります。その後、「儲かる」という観点で他のサイトを量産していったら、たしかに儲かるようになりました。でも、だんだん、つまらなくなっていったのです。勘定を先に立てると、成果は出ても、面白さが消える。勘定抜きでやると、面白いうえに、なぜか成果までついてくる。私の中では、これは実験済みの事実です。

それに、仕事はやればやるほど、できることが増えていきます。人のために働いているようで、実は一番成長しているのは自分。これも「利他は自分のため」の、ごく実務的な一面です。

気づけば、やっている

とはいえ、人間は弱い生き物です。志がないと、どうしても「楽に儲ける」ほうへ流される。私自身がそうでしたし、今もその弱さが全くないとは言えません。それでも、誰かの役に立つ、自分の成長になる、世の中のプラスになる(大我で言えば、大きな自分のプラスになる)。そう思ったことは、今でも損得抜きで「やってしまう」のです。やってしまう、というのも変な表現ですが、我慢でも意志の力でもなく、気づけばやっている。大我にとっての自然な利己とは、そういうことなのだと思います。

そして、前回の「」の話とも繋がります。志とは、自分を超えたもの、社会的なものです。つまり、志を持つこと自体が、すでに大我です。だから志を持った人は、頑張って利他をする必要がありません。自然と、そうなっていくのです。

結び:価値の循環

「価値の循環が世界をより良くすることに繋がる」。これは、会社の紹介ページに、私が書いた言葉です。自分が出した価値は、巡り巡って、誰かに届きます。その誰かも、大我で見れば自分の一部。つまり、ちゃんと自分に返ってきているのです。その循環の輪が広がっていった先を、想像してみてください。

「我」が地球のサイズまで広がったとき、そこには「他」がいなくなります。誰かを傷つけることは自分を傷つけることになり、誰かを幸せにすることは自分の幸せになる——それが、私の言う世界平和です

正直に言えば、それだけで戦争が終わるとは、私も思っていません。第1弾に書いたとおり、世界は2つあります。地球という一つの世界と、一人一人が見ている世界です。地球のほうの平和は、一人の力ではどうにもなりません。でも、もう一つの世界の平和なら、今日からでも進められます。「我」が広がった人の見ている世界からは、「敵」や「赤の他人」が減っていくからです。そして、平和な世界を見ている人が一人増えるごとに、地球の平和も一歩近づく。大げさな理想の話ではなく、一人一人の「自分」が少しずつ広がっていくという、具体的な話なのです。

Web集客コンサルブログ一覧

初回のご相談は無料です。
私たちが直接対応いたします。

無料お問い合わせする

ご相談・お問い合わせ

ホームページやWebサイトのことでお悩みがある方は、
些細なことでもお気軽にご相談ください。

オンライン会議にも対応していますので、
遠方の方のご相談も承っております。

無料お問い合わせする